スコットランドのセルティックでの活躍がめざましい旗手怜央(はたてれお)選手。身長は小さいながらも、その脚力とボディバランスからのボール保持力がエグいですよね。
中盤でボールを失わない安定感、前進する推進力の強さ、ゴールやアシストを生むのも頷ける能力の持ち主です。
そんな旗手怜央選手の父親は、あの有名なPL学園のショートでした。その活躍ぶりも半端ではなく、父親の遺伝子を受け継いだことが分かるエピソードを交えて紹介します。
旗手怜央の家族構成
まずは基本情報として旗手怜央選手の家族構成を把握しておきましょう。
- 父親:旗手浩二
- 母親:旗手さゆり
- 姉
- 旗手怜央
旗手怜央選手は4人家族、父親と母親は同い年のようです。父親の浩二さんは1966年生まれで55歳になります。旗手怜央選手は24歳なので、母親のさゆりさんが31歳のときに産んだことになります。(年齢は2022年2月時点)
ここからは旗手怜央選手の父親について更に詳しく解説していきます。
旗手怜央の父親は元PL学園No.1ショート!
旗手怜央選手の父親は旗手浩二さん。なんと元PL学園出身で、野球をやっていたんです。しかも、あのKKコンビである桑田真澄さんと清原和博さんがいた年代。
清原和博さんの一つ上の学年だった旗手浩二さんは、高校時代はバリバリの野球少年だったんです!
彼の父親は元高校球児。大阪の名門・PL学園が全盛期の頃で、清原和博と桑田真澄の『KKコンビ』の1学年上であり、ショートとして甲子園にも出場し、春夏共に準優勝を経験している。
引用元:サッカーダイジェスト
旗手浩二のプロフィール
画像は旗手浩二さんが社会人野球をやっていたときのもの。
- 名前:旗手浩二(はたてこうじ)
- 生年月日:1966/10/25
- 年齢:55歳(2022年2月時点)
- 出身:大阪
- 身長173cm
旗手浩二さんが高校3年生の年の1984年、春の選抜と夏の甲子園でどちらも準優勝に輝いています。その後法政大学で野球を続けることに。
後に本田技研鈴鹿の選手→監督として活躍しています。
本田浩二は元PL学園No.1ショート!強肩でボディバランスもエグかった
一番驚くべきことは、旗手浩二さんが元PL学園の野球選手だったことですよね!しかもKKコンビと同じ世代だったなんて。しかも、情報によれば旗手浩二さんはPL学園のショートの中でもNo.1で上手かったと言われているんです!
元PLの片岡篤史さんのYoutubeチャンネルで、当時のPL学園の監督を務めていた清水孝悦さんが言っています。
名だたる名選手を排出してきたPL学園の中で、しかもショートでNo.1って実質日本1の高校生と言っても過言ではないですよね!そんなスゴイ選手だったんです。
実際に選抜と甲子園でプレイした旗手浩二さんの映像がYoutubeに上がっていました。体幹のブレない送球、安定感のある腰なんかはまるで旗手怜央選手をみているかのようですよ!
映像と音声が粗いのは申し訳ありませんが、ピッチャーは桑田、ファーストは清原とまさに黄金コンビ世代でショートを担っていたのが分かる動画です。
この映像を見るだけでも、PL学園の準優勝にどれだけ貢献したかが分かりますね。
旗手怜央と父親のエピソード
旗手怜央選手と父親のエピソードは色々出てくるのですが、一番印象的だったのは「父親はすごい経歴を持っていたのにそれを一切旗手怜央さんに話さなかった」ことです。
旗手怜央選手が父親の偉業を知ったのは、なんと静岡学園に進学した後。取材陣からそういう質問を受けて母親に確認してやっと理解しています。
それでも体の使い方やメンタルでの指導を受けていたというので、サッカーでここまでの活躍を見せる旗手怜央選手がのし上がってきた理由の一つに「父親の存在」があったのは間違いないですね。
ここからはいくつかあった父親とのエピソードを紹介します。
部屋が汚いと怪我をする
道具は自分のお年玉で買わせた
メンタル面のアドバイス
子供の決断を尊重してくれる
部屋が汚いと怪我をする
旗手怜央選手が、父親に言われて印象に残っている言葉として「部屋が汚いと怪我をする」があります。
なんでも、部屋もキレイにできない人が自分の体に気を遣うことなどできないということらしいです。
――お父さんに言われて印象に残っている言葉は?
「『部屋が汚いと怪我をする』と。自分の身の回りのことができないのに、自分の身体なんて気を遣えないだろうって。引用元:サッカーダイジェスト
その言葉を受けて、掃除も今まで以上にきっちりやるようになった旗手怜央選手。もともとキレイ好きで一人暮らしになった今もトイレ・風呂・部屋の掃除はマメにこなしているそうです。
道具は自分のお年玉で買わせた
道具を大事にしてもらいたい思いから、浩二さんは息子にスパイクを自分のお年玉で買わせたそうです。
それはすでに旗手怜央さんから「サッカー」に対する熱意を感じていたから。後押しするように影から支えるだけ、親として見習いたいですね。
旗手怜央選手は、スポーツ用品店で何時間も時間をかけてスパイクを選んだり、自分の水筒を自分で用意したりと子供の頃からサッカーのために全力投球でした。
メンタル面のアドバイス
父親は元野球選手、息子はプロサッカー選手と土俵が全然違いいますが、メンタル面でのアドバイスは今でも旗手怜央選手が大切にしています。
落ち込んだときどうすればいいか、そういう場面は父の浩二さんも幾度となく切り抜けてきたと思いますから、これほど貴重なアドバイスはありませんよね。
「父から『良いプレーが出来なかったとしても、落ち込みすぎると、次のプレー、試合に影響するから切り替えることも大事だぞ』と常に言われてきました。それは自分でも大切にしている
引用元:サッカーダイジェスト
旗手怜央選手は、サイドバック以外はできるほどどこにポジションを置いてもプレーできる逸材。それゆえに今までもいろんなポジションをやってきたそうですから、一つのポジションをずっとやっている選手より悩むことは多かったでしょう。
それでも活躍しているわけですから、困難・苦難も父のアドバイスによって乗り越えてきたんでしょうね!
子供の決断を尊重してくれる
旗手怜央選手は幼稚園の芝の庭でサッカーをしたのが最初、そこからサッカーにのめり込んでいったと言います。
小学校低学年のときは、父の浩二さんとキャッチボールをしたこともあったようですが、本格的にサッカーを始めることになったのは「友達がみんなサッカーをしていたから」
土日はサッカー、平日は野球をやっていた旗手怜央選手。父親が偉大だとは知らずにどちらも楽しんでいたそうです。サッカーへの熱意を感じ取ったからこそ、浩二さんも何も迷うことなくそれを応援してくれたんでしょう。旗手怜央選手もそのことについてインタビューで感謝しています。
全ては子供ために、旗手怜央選手は父親とともに努力で今の活躍を手に入れたことが分かります。
まとめ
旗手怜央選手の父親についてまとめました。
旗手怜央選手の父親は旗手浩二さん。現在は55歳で元PL学園のショートとして83年、84年の甲子園準優勝に貢献しています。
旗手怜央選手にはメンタルアドバイスをしたり、一緒にお風呂に入って話しを聞いたりしていたそう。これからの活躍も応援しています。