松島幸太朗

ラグビー日本代表でフェラーリのようにかっ飛ばしトライを決める松島幸太朗選手!

 

ラグビーワールドカップでも大活躍の選手ですね!

 

そんな松島幸太朗選手の父親と母親について国籍や職業を調べてみました。

 

松島幸太朗選手はもともとすごい身体能力を持っていましたが、ラグビーで日本代表になるまでは家族とのたくさんの苦悩があったようです。

 

松島幸太朗の父親の国籍や職業は?

松島幸太朗の父親、ロドリックさん
父、ロドリックさん

松島幸太朗選手の父親は、ロドリック・ンゴロさん。ロドリックさんの出身地は南アフリカ大陸のジンバブエです。

ロドリックさんは現地でジャーナリスト・新聞記者として活動していて、幼い頃にジンバブエで「貧困・差別・内戦」を経験しています。

 

ジンバブエはイギリスの植民地だったので、独立する際に内戦が起きたり、独立後も白人と黒人との間で差別がなくなりませんでした。

 

そんな経験から、ロドリックさんは南アフリカでも問題となっていた「アパルトヘイト」に積極的に取り組んでいたといいます。日本で開催された差別撤廃世界会議のシンポジウムで講演した経験もあるそうです。

 

そんな父親の口癖は、

 

「勉強もしろ」

引用元:東京新聞

 

さよひろ

差別や独立の経験から、教育の大切さを身を以て知っていたからでしょうね。

 

松島幸太朗選手が6歳のときに日本で暮らすようになりますが、父のロドリックさんの拠点は南アフリカでほとんど母親と2人暮らしでした。

 

ロドリックさんはもともとサッカーをしていて、松島幸太朗選手も子供の頃はずっとサッカーをしていました。

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父親が17歳の時に逝去

松島幸太朗の父親、ロドリックさん

松島幸太朗選手が高校2年生の時に、父のロドリックさんは47歳の若さで亡くなります。

 

南アフリカでの活動中に、ということらしいのですが、松島幸太朗選手はそれを聞いた時に数日落ち込んで学校にも行けなかったといいます。

 

内戦や差別関係のジャーナリストをしていたロドリックさんは、立場上恨みを買うことも多いでしょう。そういう理由から命を狙われたのではないかとする意見もあるそうです。

 

松島幸太朗の母親の国籍や職業は?

松島幸太朗

松島幸太朗選手の母親は、多恵子さん。2019年で55歳になります。日本人です。

 

母親の多恵子さんは、30年ほど前にNGOとして南アフリカのアパルトヘイト問題に携わっていました。

 

両親に黙って単身で南アの黒人居住区に滞在し、黒人差別の現場を目撃した経験があった。

引用元:東京新聞

 

ロドリックさんと出会ったきっかけも、南アフリカのアパルトヘイト問題があったからでしょうね。

 

父親が亡くなってからは、松島幸太朗選手を女手一つで育てるため現在は「社会福祉士」として働いているそうです。

 

身体的・経済的・精神的なハンディがある人を支援するお仕事ですね。

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母の教育エピソードがすごい!

母、多恵子さんは一貫した教育で松島幸太朗選手を育て上げたことが分かります。母の教えとして、

 

「ノーならノー。意見を伝えることが大事」

引用元:東京新聞

 

多恵子さんは、自分が思っていることを丁寧に伝えることを繰り返ししてきたそうです。その象徴的なエピソードが「年賀状」です。

 

多恵子さんは、松島幸太朗選手の桐蔭学園時代に、校長先生に毎年年賀状を送っていたそうなんですね。それにならって幸太朗選手も校長先生に年賀状を送っていました。

 

「在学中の3年間、松島は毎年校長先生に年賀状を書いていたんです。お母さんからもすごくきれいな字で毎年手紙が送られてきたそうで、校長先生も『こんな親御さんはいない』と驚いていました。そういうことがなくなってきたこの時代に、すごいお母さんですよね。あのお母さんにしてあの子あり、と感じます

引用元:フライデー

 

多恵子さんは自分が思っていた感謝の気持ちなどそのまま伝えたかったのか、当たり前のように年賀状を書いていたんでしょう。

 

多恵子さんは「私には私の人生、彼には彼の人生がある」と語っています。ベタベタするでもなく、適度な距離感を保ちながら絆を深めていったのでしょうね。

 

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松島幸太朗の生い立ちも気になる!

松島幸太朗

松島幸太朗選手は、南アフリカと日本を行き来しながら、両方の文化や生活に触れています。その過程でラグビーをはじめ、今や日本代表として活躍しています。

 

両親の動向と合わせて詳しく紹介します。

 

ざっくりとした松島幸太朗選手の生い立ちはこんな感じ

南アフリカの首都プレトリアで生まれる

6歳の頃に東京に移住

小学校でサッカーやスイミングを始める

中学校でバレーボールを始める

中1の途中から南アフリカに留学(1年間)

中1の冬からラグビーを始める

桐蔭学園高校で花園優勝

南アのラグビー下部組織に入部(3年間)

2014年日本のトップリーグに入団

現在に至る

 

父親のロドリックさんはサッカーをしていたので、幸太郎選手も一緒になってボールを蹴っていました。近くの公園に自転車で乗り込んで、父親と一緒にボールを蹴るのが楽しみだったそうです。

 

そんな幸太郎選手ですが、小学生のときに肌の色でイジメられたことがあります。ですが、はっきりと主張するタイプの幸太郎選手は、指導者に「止めて欲しい」と強く主張します。

 

多恵子さんは一度だけ「ママの(肌の)色がいい」と言われたことがありました。肌の色で悩んだ時期もあったようですが、母親との絆で乗り越えたように思いますね。

 

ロドリックさんはほとんどが南アフリカでのお仕事だったようで、多恵子さんと2人での生活が多かった幸太郎選手。中学校に入ると「練習場が遠い」という理由でサッカーを辞め、バレーボールを始めます。

 

ラグビーをはじめるきっかけとなった留学

中学生時代に南アフリカでプレーしていた松島幸太朗

松島幸太朗選手は、13歳の時に南アフリカに1年間留学します。このとき松島幸太朗選手はまだ目標がなく、何かに情熱があるわけでもありませんでした。

 

そんな息子を見て、両親は南アフリカへの留学に行かせます。南アでは学校の寮にはいり、夏は水泳、冬は先生に誘われてラグビーを始めることに。

 

当時のことを多恵子さんはこのように語っていました。

 

「帰りたい、嫌だ、寂しいとか直接言うことはありませんでしたけど、モヤモヤっとそんな話をしていたかも知れません。南アフリカという異なった文化の空気を吸ってほしかったんです。思いっ切り広い大地でスポーツをしてほしかった、という気持ちでした。本人は戸惑ったと思うし親の勝手でしたけど南アフリカで生活することは絶対プラスになると考えていました」

引用元:報知新聞

 

追いかけっこや鬼ごっこが大好きだったという幸太郎選手は、この時をきっかけにラグビーにみるみるハマっていきます。

 

1年で帰国しますが、その後はラグビースクール「早稲田クラブ」に入部して本格的にラグビーを始めることとなります。

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頭角を表す高校時代と父の死

松島幸太朗

ラグビーの名門である桐蔭学園に進学した松島幸太朗選手。

 

当時から走力やフェイントはピカイチで、余裕のある走りであるにも関わらず誰も追いつけないほどのスピードでした。

 

こちらはちょっと画像が荒いですが、自陣から100mを走りきり一気にトライしたという伝説のランです。

すでにラグビーで活躍していた松島幸太朗選手、高校2年の冬に父ロドリックさんの訃報が南アから届きます。

 

わずか1週間前には、担任の先生とロドリックさんが三者面談の日程などをメールでやりとりしていたばっかりだったと言います。

 

そして、高校日本代表の合宿にも呼ばれていたタイミングでした。先生は合宿を辞退させることを考えていましたが、多恵子さんが「行かせて下さい」と懇願。松島幸太朗選手は様々な思いを胸にラグビーと向き合い、大きな転機になったと言います。

 

自分で道を切り開いていく

高校卒業後は、南アのラグビーリーグ下部組織シャークスに入団し、2年間本場で経験を積みます。この時も母親に背中を押されています。

 

「振り返れば、この2年で『俺はラグビーで生きていくんだ』と人生の決断をしたと思う。母からは『行きなさい。自分がしっかり成長できるところで頑張ってきて』と励まされたかな。今となっては成長できた場所だし、その決断は良かったです」と話す。

引用元:報知新聞

 

ですが、周囲には体格のいい強い選手がひしめいていました。南ア挑戦から1シーズン目には日本のU-20代表に呼ばれ、3シーズン目には南アのU-20代表にも選ばれています。

 

どちらかを選んだ時点で、もう一方の代表にはなれません。最終的には松島幸太朗選手は日本を選び、2014年にはラグビートップリーグのサントリーサンゴリアスに入団するまでになっています。

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ラグビーと母親との絆

松島幸太朗

松島幸太朗選手の人生の転機には、必ず母親の助言やひと押しがありました。

 

  • 小学校でのいじめ
  • 中学校での南ア留学
  • 高校時代の父親の死
  • 大学に行かず南ア挑戦

これって多恵子さんの思いがそのままストレートに伝わっていて、松島幸太朗選手も迷いなく突き進むことが出来たんでしょう。

 

松島幸太朗選手の2月の誕生日には、いつも家族でお祝いするそうで、2018年の誕生日には多恵子さんが幸太郎選手に手紙を送っています。

 

今年、母は手紙を渡した。「その美しい肌の色と、きらきらした目と、自由な心がいいね」と記して。思っていることをきちんと伝えるのが、松島家の流儀。息子は照れくさそうに手紙を読んで「ありがとう」と小さく笑った。

引用元:未来ノート

 

南アフリカという独特の環境と、母親という存在に助けられながらここまでこれたと本人が一番感じていることでしょう。

 

自分がやりたいことを貫いてきた多恵子さん、息子にもやりたいことを一番にしてほしいという思いが最初からあったといいます。松島幸太朗選手も、自分の言葉で母親に感謝を伝えています。

 

「僕は人生の転機で自分を導いてくれる人たちに出会えた。その始まりは、母親です」

 

この言葉だけでも、いかに母親との絆が深いかがわかりますね。

まとめ

松島幸太朗選手の父親と母親についてまとめました。南アフリカと日本人のハーフである彼の生い立ちも独特のものがあります。

 

 

父親:ロドリック・ンゴロさん(ジャーナリスト・新聞記者)

母親:多恵子さん(NGO経験後、現在は社会福祉士)

 

 

今の松島幸太朗選手の強さも分かった気がしますね。

 

いよいよ決勝リーグで故郷である南アフリカとの対戦が2019年10月20日に迫っています。

 

前回も勝っているので、今回も松島幸太朗選手のちからが発揮されることは間違いないでしょう!

 

応援しています!

 

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