サッカー日本代表でイングランドのブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンに所属している三笘薫選手。
三笘薫選手は、橘高校出身ということですが、どんな学生生活を送っていたのでしょうか。
しかも、橘高校を卒業後は、プロになる自信がなくて大学へ進学したという噂もあります。なぜプロ入りではなく大学進学だったのか気になりますね。
三笘薫選手の学歴をまとめたのでご紹介します。
三笘薫は橘高校出身!
三笘薫選手は、川崎市立橘高校出身です。
三笘薫選手自身が、橘高校を卒業した時に公式Twitterに高校生活の思い出と感謝を綴っていましたよ。
- 偏差値:44~58
- 課程:全日制課程と定時制課程
- 学科:普通科・国際科・スポーツ科
- 住所:神奈川県川崎市中原区中丸562
橘高校の偏差値は44~58で有名大学への進学実績も多々ありますが、どちらかといえば、勉強よりスポーツに重きを置いている高校です。
そのため部活を頑張りたい学生におすすめ!特に、バレー部は男女ともに強豪チームで全国レベルなんですよ。
文化祭や体育祭、歌合戦など行事が他校よりも充実しているため、部活に行事と充実した高校生活が送れると在校生や卒業生からのお墨付きもあります。

橘高校に行けば部活に行事に楽しい高校生活が送れそうですね!
橘高校には、三笘薫選手以外にも有名な卒業生がいらっしゃいます。
- 島村春世さん(バレーボール選手)
- 塚田しおりさん(バレーボール選手)
- 白岩直也さん(バレーボール選手)
- 根本りつ子さん(女優)

やはり橘高校はバレー部の強豪校ともあってバレーボール選手がたくさん輩出しているんですね。
その中で、サッカー選手として有名になった三笘薫選手は橘高校としても嬉しい存在のはずです!
三笘薫はプロになる自信がなくて大学進学した?
三笘薫選手は、高校卒業と同時に川崎フロンターレからプロデビューのオファーがありました。
三笘薫選手は、小学生の時から川崎フロンターレの下部組織に所属しており、順調にプロへの道へ歩んでいたので当然のことのように思えますね。
しかし、三笘薫選手はプロ入りを拒否。
その理由は、プロで活躍する自信がなかったため、筑波大学へ進学し4年間大学サッカーで自分自身を学び直したいというものでした。
「はっきり言って、当時はプロでやっていく自信がありませんでした。1学年上の三好(康児)選手や板倉(滉)選手の姿を見て、客観的に考えたときに、トップでやれる自信が決定的に足りなかった。その現状から、将来を考えると筑波大に行った方が良いと思ったんです。
周囲の誰もがプロで活躍できる実力を認める中で、三笘薫選手本人だけが絶対的な自信の欠如に悩み葛藤していたのかもしれませんね。
三笘薫選手自身が感じているサッカーの評価と周囲の評価のズレを埋めるためにも大学進学は必要な時間だったのだと思います。
人一倍客観的思考ができる人だからこその決断だったことでしょう。
プロになれば嫌でも結果を求められます。
もし結果が出ない時、ゆっくり立ち止まって考える時間すら与えられず次の結果を求められるはずです。
そのような状況に陥った時にどうするべきかを客観的に想像した時、三笘薫選手の中でまだまだプロになる自信がないと感じたのかもしれませんね。

三笘薫選手は、少し物事を慎重に考えすぎてしまうのかもしれませんが、結果的に遠回りが一番の近道ということもありますからね!価値ある決断だったと思います!
三笘薫の学歴まとめ
三笘薫選手がこれまでどのような学歴を歩んできたのか気になりますよね。
学歴をまとめてみました。
三笘薫の小学校・中学校時代
三笘薫選手は川崎市立鷺沼小学校出身です。
- 公立小学校・男女共学
- 1977年2月8日創立
- 生徒数約930人
- 住所:神奈川県川崎市宮前区鷺沼2丁目
小学2年生から地元のサッカークラブ「さぎぬまSC」に所属して本格的にサッカーを始めました。
小学3年生の時に川崎フロンターレのU-12のセレクションに合格。
三笘薫選手は、小学生の頃から将来はプロのサッカー選手になりたいと練習に打ち込んでいました。
小学5年生と6年生の時には、2大会連続で全日本少年サッカー大会に出場。
小学6年生の時にはキャプテンを務めていました!
三笘薫選手は鷺沼小学校を卒業後は、川崎市立有馬中学校に進学。
- 公立中学校・男女共学
- 1978年4月1日創立
- 生徒数約800人
- 住所:神奈川県川崎市宮前区有馬7丁目
三笘薫選手は、中学時代はサッカー部ではなく川崎フロンターレのU-15に所属していました。
中学3年生の時にユースクラブ選手権に出場。
準々決勝でガンバ大阪のユースに敗れはしましたが、三苫薫選手のドリブルは他の選手よりもひと際目立つものでガンバ大阪の監督も絶賛していました。
「当時のガンバはタレント軍団で、クラブユース選手権で優勝したのですが、試合後に相手の監督さんが『ここまで崩されたのは、フロンターレさんが初めてですよ』と言って、薫を絶賛していたことを覚えています。『止められなかったです』って」
ちなみに、三笘薫選手をよく知る有馬中学校の体育の先生曰く、三笘薫選手を優しく穏やかな生徒だったそうです。
ユースでサッカーの経験があるにも関わらず、授業のサッカーでは自分よがりなプレーはせずに周囲の友達を輝かせるパスでアシストする生徒だったと振り返っています。
「三笘選手は優しく穏やか。授業のサッカーでは、周囲が良く見えていて周りを輝かせるようなパスを連発していた」
サッカーの経験が他の生徒よりも多い分、目立つプレーを連発しそうですが、三笘薫選手は謙虚にサッカーに向き合い友達のために動ける人なんでしょうね。
川崎市鷺沼小学校と川崎市立有馬中学校の両校には有名な卒業生がいらっしゃいます。
- ベッキーさん(タレント)
- 田中碧さん(サッカー選手)
- 高井雄平さん(元プロ野球選手)
鷺沼小学校も有馬中学校も川崎市内の公立学校なので地元の多くの生徒が進学先に選んでいるのでしょうね。

三笘薫選手と田中碧選手は、同じ小学校と中学校出身でありさぎぬまSCから川崎フロンターレの下部組織を経て二人ともプロになっていることから地元からの期待も高いです!
東京五輪が開幕し、昨晩サッカー男子の日本代表初戦となるグループステージが行われた。メンバーに登録されている三笘薫選手(24)=川崎フロンターレ=と田中碧選手(22)=フォルトゥナ・デュッセルドルフ(ドイツ)=は、区内の鷺沼小学校、有馬中学校を卒業したということもあり、地域から応援の声が寄せられている。

田中碧選手と切磋琢磨してこれからも川崎市を盛り上げていってもらいたいですね。

三笘薫選手も田中碧選手も地元川崎から世界で活躍するサッカー選手に成長しましたね!これからも目が離せません!
三笘薫の高校時代
三笘薫選手は川崎市立橘高校に通っていましたが、どんな高校生活を送っていたのでしょうか。
橘高校は、スポーツが盛んな高校で、特にバレー部は男女ともに強豪校として有名です。
偏差値は、44~58で、普通科・国際科・スポーツ科の3つの学科あります。
三笘薫選手が橘高校時代にどの学科に所属していたのかまではわかりませんでしたが、スポーツ科に通っていた可能性が高いです。
ちなみに、得意な科目は体育で、苦手な科目は数学ですが、川崎フロンターレのユースは学業とサッカーの両立を強く求めることでも有名なので、三笘薫選手も勉強ができる生徒だったと思います。
三笘薫選手は、高校のサッカー部には入っておらず、川崎フロンターレのU-18に所属。
やはり高校時代もサッカーの技術レベルは高く、特に三苫薫選手のドリブル関しては同じ川崎フロンターレに所属していた田中碧選手も絶賛していました。


高校卒業後にプロ入りのオファーを受けたほどですからやはりその実力は確かなものだったんですね!
三笘薫の大学時代
三笘薫選手は、筑波大学へ進学。
- 設立:1973年
- 種別:国立大学
- 偏差値:55~65
- キャンパス:筑波キャンパス・東京キャンパス
- 学群・学類制度を採用(9つの学類と23個の学類)
- 住所:茨城県つくば市天王台一丁目1番地1(筑波キャンパス本部)
筑波大学は、偏差値55~65と高く、国内第2のキャンパス面積を誇っています。
敷地が広すぎて新入生は高確率で迷子になり、講義の時間に間に合わないことも多くキャンパス内の移動は自転車はもちろんのこと、循環バスも走っているんですよ!
筑波大学は、他の大学と違って学群・学類を採用しており、より広範囲の学問を研究したり専門的に学ぶことができます。
そのため、授業の選択が比較的自由にでき勉強が好きな人や専門的な学びを得たい人におすすめの大学です!
三笘薫選手は、筑波大学の体育専門学群に所属。
体育・スポーツ・健康に関することを最新の科学的研究の観点から学ぶことができる学群です。
三笘薫選手も運動生理学や栄養学を学び、サッカーに活かしていました。
もちろん、筑波大だからこそ積み重ねられるものはあります。体育学を学んでいて、運動生理学、栄養学など、競技に生きる勉強は凄く大事にやっていますし、“回復”に目を向けるようになりました。これまではプレーや練習ばかり意識をしていたけど、より論理的に身体に気を配れるようになりました
ちなみに大学の卒業論文では、自身のドリブルを客観的に考察し、小型アクションカメラを使って自分とサッカー部の友人のドリブルを比較するなど様々な視点からドリブルのメカニズムを研究していました。
三笘薫選手は、筑波大学で蹴球部(サッカー部)に入部。
高校3年生の春に筑波大学蹴球部の練習に参加し、パス主体の戦術や選手個人のスキルの高さからいくつかの大学の候補がある中から筑波大学へ進学を決めました。
三笘薫選手は川崎フロンターレのユースにいましたが、蹴球部でも即レギュラーとはならず苦しい時間を過ごすことになります。
筑波大学の蹴球部は、大学サッカー界での有名な強豪校。
部員数も多くレギュラーを取るには、ユース経験者ですら難しいほど狭き門なのです。
三笘薫選手は、レギュラー入りを目指して自分に足りないことを克服するために意識してフィジカルを強化するなど練習に励み、大学1年生のうちにレギュラー入りを勝ち取ったのでした。
そして、2018年8月の大学3年生の時には、Jリーグ特別指定選手として川崎フロンターレ入りを果たします!

自ら大学進学を選んだわけですが、大学サッカーでの経験は三笘薫選手にとってとても貴重なものだったでしょうね!
三笘薫のプロフィール
三笘薫選手は、3歳上のお兄さんの影響で、6歳の時からサッカーを始めました。
三笘薫選手の父親は陸上、母親はバレーをしていたようで、三苫薫選手がサッカーをするのはスポーツになじみのある家族の中では自然な流れだったんでしょうね。
三笘薫選手にとって家族はホッとできる存在なんだそうです。
家族仲がとても良いので何かあるとすぐ連絡をとるんだとか。
素敵な家族に支えられいるからこそサッカーに専念できるのかもしれませんね。
まとめ
三笘薫選手の学歴をまとめましたがいかがでしたか。
三笘薫選手は、川崎市立橘高校出身でしたが、サッカー部には所属しておらず、川崎フロンターレのユースで活躍していました。
高校卒業時にプロ入りのオファーを受けるも、自信がないという理由からプロ入りを断り筑波大学へ進学し4年間勉強とサッカーの両立を果たしましたね。
遠回りのようで実は確実にサッカーの考え方や技術力を向上していたと思います!
大学4年間の経験をこれからもプロの世界で活かし活躍していってほしいですね!