日本を代表する選手で、現在はメジャーリーグで活躍している大谷翔平選手。
学生時代から注目の的だった大谷翔平選手を育てたご両親は、一体どんな人物なのでしょうか?大谷翔平選手の父親は、息子と同じくかなりの高身長なのだとか!
この記事では、大谷翔平選手の父親の身長や、年齢、職業などを詳しくまとめていきます!
大谷翔平の家族構成は?
父:徹さん
母:加代子さん
兄:龍太さん
姉:結香さん
大谷翔平選手の家族構成は父、母、兄、姉の5人家族で、ご家族は大谷翔平選手の応援などでファンから目撃されることも多いようです。
兄の龍太さんは大谷翔平選手よりも7歳上、姉の結香さんは2歳上だそうです。
末っ子の大谷(7歳上の兄と2歳上の姉)は、家族の姿を見て学び取るのが上手だった。
出典元:Yahoo!ニュース
大谷翔平選手は末っ子だったんですね!しっかり者のイメージがすごくあるので何だか意外です。
お二人とも既にご結婚されていて龍太さんには息子さんもいらっしゃるようなので、大谷翔平選手の甥っ子ということになります!
大谷翔平の父親の身長はいくつ?
193cmと、日本ではなかなか見ることが出来ないほどの高身長を持つ大谷翔平選手ですが、ご家族もかなり身長が高いようです。
大谷翔平選手の父親・徹さんの身長は182cm。日本成人男性の平均身長が約172cmですので、平均よりも10cm高いということになりますね!
ちなみに母親の加代子さんの身長は170cmで、成人女性平均の約158cmよりも12cmも高いんです。兄の龍太さんも187cm、姉の結香さんは168cmなので、大谷翔平選手の身長が高いのは親からの遺伝のようですね!
ご家族全員高身長ですが、その中でもやはり大谷翔平選手は飛び抜けて大きいですね。10cmほど自分にも分けてほしいです笑
大谷翔平の父親の現在の年齢は?
父親の徹さんは1962年生まれで、2021年現在は59歳ということになります。
徹さん自身も昔は野球選手だったそうで、中学2年生の頃に陸上から野球へと転向されました。岩手県の黒沢尻工業高校に進学後も野球に打ち込み、外野手として活躍していたそうです!
黒沢尻工業は当時、野球強豪校。中学時代はエースで4番、腕に覚えのある連中が集まってくる。徹は外野手として、主に1、3、5番を打った。
出典元:日刊ゲンダイ
黒沢尻工業高校は春夏合わせて4回甲子園出場経験がある、岩手県の県立高校です。黒沢尻工業が甲子園に出場したのは1957年〜1983年頃ですので、徹さんが高校生のころは現在よりも強豪校のイメージが強かったそうです。
高校を卒業してからも三菱重工横浜野球部という社会人の野球部で野球を続けていましたが、社会人6年目の24歳夏に野球選手を引退しています。
チームの監督から戦力外通告を受け、そのまま売り言葉に買い言葉でやめてしまったそうです。
社会人6年目の都市対抗の予選で敗れ、来季は自分がキャプテンをやって若手を引っ張ろう。大谷の父・徹(52)がそう考えていた矢先に、監督から「来季は戦力として考えていない」と告げられた。
出典元:日刊ゲンダイ
戦力外通告を真に受けてしまった徹さんでしたが、当時の監督は選手を鼓舞するために「来季は使わない」と言っただけだったのだとか。
当時から付き合っていた加代子さんにも相談したのだそうですが、どうしても自分から「それでも使ってください」とは言えなかったのだそうです。若い頃の徹さんは、結構頭に血が上りやすいタイプだったようですね笑!
三菱重工横浜野球部に所属していたため神奈川県に移り住んでいましたが、子供たちが野球に伸び伸びと取り組めるように地元の岩手県へと戻りました。徹さん自身もチームを辞めてしまったため、神奈川に残る意味もあまりなかったのだそうです。
大谷翔平の父親の職業も気になる!
野球を引退後に結婚された徹さんは、自動車ボディメーカーに勤務していました。詳しい会社名は分かっていませんが、その会社に入社した理由も岩手県にある工場への勤務を見越してのことだったそうです。
自動車の部品を組み立てたりするお仕事で、夜勤と日勤を一週間交代で行う職場だったそうです。生活リズムが安定しない分、結構大変そうですよね。
ご自身は野球を引退されましたが、大谷翔平選手が小学3年生の時に野球を始めた頃には、自ら野球チームの監督を務めていました。
当時は仕事と並行して監督をしていたため、夜勤明けからそのまま練習へ行くこともあったのだとか!元野球選手なので体力はあったと思いますが、それでもかなりキツそうですね。
そんなハードスケジュールをこなしていた徹さんですが、2016年(当時54歳頃)に職場を退職しています。明確な退職理由は明かされていませんが、大谷家の知人曰く金ヶ崎リトルシニアの監督に専念するためなのだそうです。
「徹さんが会社を辞めたのは事実。もちろん翔平くんのサポート体制充実のためではありますが、もうひとつの理由が地元の野球チーム『金ヶ崎リトルシニア』の監督業の活動に専念するためです」
出典元:ライブドアニュース
金ヶ崎リトルシニアとは、「ジュニアに目標とされる選手になりたい」という大谷翔平選手の言葉から、2014年4月に徹さんが有志とともに設立された野球クラブです。
選手としての道は進みませんでしたが、徹さんは大谷翔平選手の父親として、監督として生涯野球に関わってきたんですね!
大谷翔平の父親の教育方針とは?
大谷翔平選手の家庭はガッチガチの英才教育というわけではなく、「自分のことは自分で決める」という教育方針だったそうです。野球も父親からではなく、大谷翔平選手から「教えてほしい」と言ってきたのだそうです。
野球に関しても練習場でみっちり練習したら、家に野球を持ち込むことはなかったのだとか。アスリート一家だと、練習から帰った後も両親と一緒にガッツリ練習・・・みたいなイメージがありますが、大谷翔平選手の家庭では違ったようです。
そう聞くと、『巨人の星』のようなスパルタの父子鷹を想像するが、大谷家の教育方針はまるで逆。グラウンドでは厳しく接しても、家庭内には野球を持ち込まないようにしていたという。
出典元:Yahoo!ニュース
そのほかにも家庭での決め事があったのですが、それも家族と一緒にご飯を食べる、夫婦喧嘩はなるべくしない、子供を叱らない、おはようやおやすみはきちんと言うなど、一般家庭と変わらない約束事ばかりだったようです。
「これといったしつけみたいなものはありませんでしたよ。ごくごく普通。私たち親が『おはようございます』『お休みなさい』を言う。あるいは、自分が食べたものは自分で片づける。そんなごく当たり前の普通のことを親が率先してやれば、その姿を子供たちは見て自然とやるようになるのかなあとは思っていましたけど、思い当たるのはそれぐらいですね」
出典元:Yahoo!ニュース
子供にばかり厳しく言いつけるのではなく、自分がまずお手本となるように意識されていたようです。一つ一つは簡単なことばかりですが、いざ続けようとなると難しいですよね。
こういった教育方針だったからこそ、大谷翔平選手は伸び伸びと野球をすることが出来たのかもしれませんね!
まとめ
大谷翔平選手の父親は、監督としても父親としても余裕がある、立派な方だということがわかりました!
何事も子供に強要しない、というのは一般的な教育論ですが、実行するとなると難しいものですよね。寛大なご両親だったからこそ、今の大谷翔平選手があるのではないでしょうか!
メジャーリーガーとして、日本を代表する選手として期待されている大谷翔平選手。これからも活躍からも目が離せません!