Winner’s(ウィナーズ)の新メンバー、しょうへい(翔平)さんはLISEM(リゼム)のカメラマンとして活動しています。
リゼムはサッカー系YouTubeチャンネルで、チャンネル登録者数は2022年2月現在16.8万人とかなり注目されています。
今回は、そんなリゼムでカメラマンを務めているしょうへいさんの、プロフィールや経歴を紹介しています。最後まで読んでみてくださいね。
リゼムしょうへいのプロフィール
- 名前:しょうへい(S君)
- 本名:森保翔平(もりやすしょうへい)
- 生年月日:1991年8月17日
- 年齢:30歳(2022年2月現在)
- 血液型:A型
- 身長:171cm
- 体重:63kg
- ポジション:DF(ディフェンダー)
- 出身:広島県
しょうへいさんは、動画内でS君として登場しています。
リゼムチャンネルでは、S君として素性を隠していましたが、しょうへいさんの経歴はかなりすごいものでした!
リゼムのサポートメンバーとして活動していましたが、今回Winner’sの新メンバーとして選ばれたことで、そのサッカーの腕前にも注目されています。
そんなしょうへいさんのポジションはDFです。
- DFは、自分のチームゴール側にポジショニングし、相手の攻撃を食い止める役割をしている。
- 自分のチームの攻撃につなげるため、相手のボールを奪った際は戦前選手にボールを送る攻撃の起点にもなる。
- DFが突破されると、GK(ゴールキーパー)との1対1になってしまうことから、失点につながりやすくなってしまう。
- フィジカルの強さやヘディングで競り負けない高さ、全体の動きを把握しながら相手の攻撃を予測しなくてはいけない重要なポジション。
- DF有名選手としては、吉田麻也さんや中澤佑二さんなどがいる。
しょうへいさんは、リゼムに所属しているけーごさんの兄となっています。
お父様は元サッカー選手であり、現カタールワールドカップ日本代表監督の森保一さんです。また、三男坊である森保陸さんもサッカー選手なんだそうです。
まさにサッカー家族という感じですね!
リゼム翔平は元プロサッカー選手!出身高校や経歴まとめ
- 広島の小学校入学(1998年)
- サンフレッチェ広島スクール(広島ジュニア)へ入団
- 高学年になり、宮城県仙台の小学校へ転校
- 虹の丘サッカースポーツ少年団(FCアルコ虹の丘・アミタスサッカースクール)へ入団
- 広島へ戻り、中学校入学(2004年)
- サンフレッチェ広島ジュニアユースへ入団(2004年)
- 高円宮杯(U-15)ベスト4(2005年)
- 広島県立吉田高校入学(2007年)
- サンフレッチェ広島ユースへ昇格(2007年)
- 高円宮杯(U-18)ベスト4(2009年)
- Jユースカップ準優勝(2009年)
- U-18日本代表選出(2009年)
- サンフレッチェ広島ユース卒業(2010年)
- 法政大学入学(2010年)
- 大学卒業後、Jリーグデビュー(2014年5月)
- 契約満期(2015年)
- ニュージーランドの2部リーグ、オネハンガ・スポーツに所属(2016年)
ニュージーランド最上位サッカーリーグワイタケレ・ユナイテッドに移籍(2018年)
- バヌアツのマランパ・リバイバースに移籍(2019年)
- 帰国後、東京で就職(2020年)
- リゼムのカメラマンになる(2021年1月)
- Winner’s新メンバーとして加入(2022年1月)
しょうへいさんは小学校の頃からサッカーをプレイしていたことがわかりますね。
大学卒業後、しょへいさんは念願のプロサッカー選手になっていますがプロになり1年目でケガをしてしまい、悔しい思いをしたことがわかりました。
ここからは、しょうへいさんの経歴をさらに詳しく紹介していきます。
サッカーとは切っても切れない縁で繋がっていそうですね!
しょうへいの小学校~中学校時代
しょうへいさんは、広島県で生まれました。そのため、広島県の小学校へ入学したことがわかります。
小学校に入学してからは、サンフレッチェ広島スクールへと入団しています。
このサッカースクールは、J1トップリーグサンフレッチェ広島の下部組織となっています。しょへいさんは、広島ジュニアに入団してサッカーを学んでいました。
J1トップリーグサンフレッチェ広島といえば、浅野雄也さんや塩谷司さんが注目されていますよね!
プロフィールでも紹介したように、しょうへいさんのお父様は元サッカー選手です。お父様が当時ベガルタ仙台へ移籍したことで、宮城県仙台市へと引っ越すことになります。
しょうへいさんは、2001年(当時約10歳)で虹の丘サッカースポーツ少年団(現在:FCアルコ虹の丘・アミタスサッカースクール)でサッカーをプレイすることとなります。
こちらのサッカースクールは、親子でサッカーを一緒に楽しめるようにという思いを込めて作られています。
指導者たちは子供の能力を全力で伸ばす、という目標を持って指導しています。しょうへいさんは、約2年ほどしか在籍していませんが、きっとこのスクールでの経験が今に繋がっているのでしょう。
中学入学時期である2004年には、広島県へと戻っています。中学校は広島県内の中学へ進学し、サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団しました。
しょうへいの高校時代
しょうへいさんの入団しているサンフレッチェ広島ユースは全寮制となっており、所属している選手はみんな広島県立吉田高等学校へと通うことになります。
そのためしょうへいさんは、2007年に広島県立吉田高等学校へと進学しました。
広島県立吉田高等学校の偏差値は41、プロサッカー選手の駒野友一さんが卒業した高校でもあります。
この高校は、戦国武将毛利元就の居城吉田郡山城がある場所として有名です。2017年に創立110周年をむかえている、歴史のある高校です。
しょうへいさんは、吉田高校へ通うとともに広島ジュニアユースからサンフレッチェ広島ユースへと昇格し、3年間サッカーを学び続けました。
しょうへいさんは1年生の頃、さすがにレギュラー入りすることはできませんでしたが2年生になってからは、主にセンターバックやサイドバックとして活躍し始めます。
しょうへいさんのポジションであるセンターバックとサイドバックは、DF(ディフェンダー)としてのカテゴリに分類されます。
この頃からしょうへいさんは、DFとしての実力を確実につけてきていたことがわかりますね。
結果、高校3年生である2009年に下記の戦績を残しています。
- 高円宮杯(U-18)ベスト4
- Jユースカップ準優勝
- U-18日本代表選出
毎日チームメンバーと生活を共にし、生活のすべてをサッカーにかけているといっても過言ではない生活の中で、このような重大なポジションを獲得したしょうへいさん。
努力と実力で確実に成長していることがみてとれますね!
しょうへいさんの大学時代
しょうへいさんは2010年、高校とサンフレッチェ広島ユースを卒業して法政大学へと進学します。
法政大学といえば、プロサッカー選手の長倉颯さんや田代雅也さんなどが卒業生として有名ですね。
法政大学は、東京都千代田区富士見2-17-1にある私立大学です。偏差値は大体50~65となっており、学部によって変化します。しょうへいさんの学部は残念ながらわかりませんでした。
しょうへいさんは法政大学で4年間サッカーに没頭。幼少期からサッカーとともに成長してきたしょうへいさんは、ここで今まで培ってきた強い精神力を発揮し、見事大学4年生になるとキャプテンにも就任しています。
しょうへいのプロサッカー選手時代
しょうへいさんは大学卒業後である2014年、カスタマーレ讃岐とプロ契約を果たし、見事プロサッカー選手となります。
当時カスタマーレ讃岐は、J2に昇格したばかりであり注目されていましたね。
2014年5月にJリーグデビューを果たしています。小学生からサッカーを続けて、見事プロサッカー選手になるなんて…。
プロサッカー選手になれる確率を調べてみたところ、小学生10000人のうち8人がプロになれる可能性があることがわかりました。
まず始めに2020年のJリーグの選手数ですが、3つのカテゴリー(J1・J2・J3)合わせて1650人でした。
(J1:565人、J2:656人、J3:429人)外国籍選手は86人でしたので、日本人Jリーガーは1564人。そして2020年の新加入選手(初めてプロになった選手)は204人。
2020年に日本サッカー協会に登録していた4種(小学生年代)の選手数は253745人。
※サッカー協会公式戦に出場する選手が登録するので、低学年などを合わせると実際はもっと多いと思われます。ざっくりと計算してみると
204人(新しくプロ入りする選手数)÷253745人(小学生年代の競技人口)×100=0.08039%
となり、だいたい今サッカーをしている小学生10000人のうち8人がプロになれる確率となります。
引用:ゆるはちブログ
まさに狭き門をくぐってきたしょうへいさん。本当にすごいですよね。
しかし、2014年7月にしょうへいさんは右ひざ靱帯損傷で約6週間の離脱をよぎなくされました。
- 交通事故やスポーツなどで大きな力が加わり、膝の靱帯に損傷が生じてしまうこと。
- 特に内側側副靱帯はサッカーやラグビーでの接触プレーで起こってしまう可能性が高い。
- 膝が痛むことでうまく動かせなくなったり、腫れることもある。
- 治った場合でも、動かしにくさを感じたり、運動を再開した際に膝が痛くなることもある。
しょうへいさんは6週間で復活しますが、同年10月に再度損傷してしまいます。
この時は4週間の離脱を余儀なくされました。しょうへいさんはプロになって1年もたっていない時期でのケガだったこともあり、かなり焦りを感じていたのではないでしょうか。
しょうへいの海外進出
しょうへいさんは2015年、カスタマーレ讃岐との契約が満期を迎えました。その後、2016年にしょうへいさんはなんと海外へと向かいます。
なぜ海外へ!?と驚きましたが、海外でサッカーをする道を選んだようですね。
Wikipediaを見てみると、しょうへいさんの海外での経歴がしっかりと記録されていました。
しょうへいさんは2016年、ニュージーランドへと向かいます。そこではニュージーランド2部リーグのオネハンガ・スポーツに所属することに。
2018年~2019年のシーズンよりニュージーランド・フットボールチャンピオンシップのワイタケレ・ユナイテッドへと移籍しました。
ワイタケレ・ユナイテッドは、ニューヨークで最上位サッカーリーグです。しょうへいさんは、ニュージーランドのトップリーグでサッカーを通して活躍することとなります。
そして、2019年1月からは、バヌアツ代表のマランパ・リバイバースと契約を果たします。こちらが海外進出最後の経歴ですね!
バヌアツとは、南太平洋のシェパード諸島の火山島上にあるバヌアツ共和国です。しょうへいさんが契約したマランバ。リバイバースは、クラブチームによるサッカーの大陸選手権大会であるOFCチャンピオンズリーグに出場する実力を持っています。
海外でのサッカーは、しょうへいさんにとって大きな経験に繋がったのではないでしょうか。
しょうへいさんの帰国後から現在
しょうへいさんは2020年に帰国し、サッカーから離れて1年間東京で働いていました。どこで働いていたのかはわかっていません。
働きながら広島へ帰省した際に、弟であるけーごさんが行っているリゼムチャンネルの撮影を手伝っていたようです。しかし、新型コロナウイルスの影響もあり、思うように仕事ができなくなったのでしょう。
このタイミングでけーごさんからお誘いを受け、しょうへいさんは2021年1月頃、正式にリゼムのサポーター(カメラマン)として活動することとなりました。
そして2022年、eFootballチャンネルとして活動しているサッカーチームWinner’sへ加入することが決定。サッカー経歴のあるYouTuberが集まってできたグループで、現在YouTubeでもかなり注目されています。
しょうへいさんが加入したことで、さらにWinner’sが成長していくような気がします。これからどんどんサッカーが身近な物になってくれるよう、期待していましょう!
まとめ
今回、リゼムのカメラマンとして活躍しているS君ことしょうへいさんについて紹介しました。
Winner’s加入によって「どこかで見たことがあるかも?」と思った方もいたのではないでしょうか。まさか、元プロサッカー選手という経歴を持っていたなんて、驚きです。
小学生の頃からサッカー一筋で頑張ってきたしょうへいさん。これからWinner’sでさらにサッカーの楽しさを、世界に広めてほしいですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。