2019/2020シーズンは出場した大会全てで優勝を果たし、2021年12月にアメリカで行われた招待大会、デュー・ツアーの男子ハーフパイプで今季初優勝した若干20歳の戸塚優斗選手。
両親の影響で3歳からスノーボードを始め、小学5年生の時にハーフパイプのプロ資格を取得し、本格的に活動を始めました。そんな戸塚選手の両親はどんな人なのか、兄弟はいるのか、家族についても気になりますよね。今回は戸塚優斗選手の家族について調べてみました。
戸塚優斗の家族構成は?
戸塚優斗選手の気になる家族構成は、父親・母親・戸塚優斗選手の3人家族です。
- 父
- 母
- 優斗
現在、兄弟がいるという情報はなく、戸塚優斗選手はひとりっ子だと思われます。神奈川県横浜市出身の戸塚優斗選手がスノーボードを始めたきっかけは両親の影響だそうです。

YONEXの公式ホームページには「両親の影響で3歳の頃からスノーボードを始めた」とありますが、戸塚優斗選手のWikipediaには「2歳の頃に両親(特に母親)の影響でスノーボードを始めた」と書かれています。
どちらの情報が正しいのかはわかりませんが、YONEXは戸塚優斗選手が所属している企業なので、本人から聞いて記している可能性が高いと思われます。
両親の影響で3歳と物心つく前からスノーボードを始め、小学3年生の時にHPの練習を始めてのめり込む。 ハーフパイプのJSBA公認プロ資格を取得後、本格的に活動を開始。
引用元:TEAM 戸塚優斗-YONEX
両親の影響で始めたということは、両親もスノーボードをやっていたのかもしれませんね。戸塚優斗選手の出身地である神奈川県横浜市にはスキー場はないので、近隣県に出向き、家族でスノーボードを楽しんでいたのでしょうか。
戸塚優斗の母親はスノーボーダー?
戸塚優斗選手がスノーボードを始めたきっかけは両親の影響ということがわかりました。母親はスノーボード経験者のようですが、大会に出場していたという情報は出てきませんでした。
3歳からスノーボードを始めた戸塚優斗選手ですが、本人曰く、「無理やりやらされた」とのことなので、スノーボードをやらせたいという母親の思いが強かったのかもしれません。
戸塚優斗の父親は会社員?
戸塚優斗選手の父親について調べてみましたが、確実な情報は出てきませんでした。ただ、戸塚優斗選手は両親の影響でスノーボードを始めていることから、父親もスノーボードをやっていた可能性はあります。
戸塚優斗の母親的存在だった三井真紀

実は戸塚優斗選手には実の母親の他にもう1人「お母さん」と呼んでいた人がいました。元プロスノーボーダーの三井真紀さんです。

三井真紀さんはハーフパイプの世界では知らない人はいないというほどの名ライダーでした。
- JAPAN SKI TEAMのメンバーになる(2006/2007シーズン)
- FISキスマーク・ジャパンオープンマッチ:女子ハーフパイプで2位(2007年)
- FISワールドカップ・富良野大会:女子ハーフパイプ5位(2007年)
- YONEX主催のジュニアレッスンでコーチを務める(2011年〜2013年)
「FIS」は国際スキー連盟の略称で、三井真紀さんはFISの日本大会のみならず、世界大会での入賞経験もあるライダーです。
そんな三井真紀さんとの出会いが戸塚優斗選手を変えたとも言われています。戸塚優斗選手が幼少の頃からコーチを務め、戸塚優斗選手は三井真紀さんのことを「お母さん」と呼んでいたそうで、三井真紀さんも「第二のお母さんのつもり」と話されています。
戸塚優斗選手と三井真紀さんの関係は深い絆で結ばれている感じがして、とても素敵ですね。
戸塚優斗の兄的存在だった柳原真央
ひとりっ子の戸塚優斗選手には兄と慕う人がいました。戸塚優斗選手と同じくYONEX所属のプロスノーボーダー・柳原真央さんです。
YONEXの契約ライダーだった柳原真央さんとはレッスンイベントで知り合い、スノーボードのプロショップ「HAVEN STORE」を紹介してもらい、お店のTEAMメンバーになりました。チーム内では師弟関係だったそうです。

戸塚優斗選手と柳原真央選手がチームメンバーになっているスノーボードのプロショップ「HAVEN STORE」は西東京市にあります。
HEAVEN STORE.ではお客様のライフスタイルの全てを文字通りHEAVENにすることを
最大の目標として、SNOWBOARDINGをベースとした、
様々な遊び・ライフスタイルをご提案させていただいております。
そしてご提案するどの遊びやライフスタイルについても、ただ単に商品や情報を
提供するだけでなく、カルチャーやストーリー、楽しみ等、、
全てを感じ・体験できるような機会を併せてプロデュースいたします。
「HAVEN STORE」ではトップレベルの技術を持つチューンナッパーがひとりひとりに最適なチューニングを発見し、提案してくれます。
また、「Family」と呼ばれるHAVENライダーチームがあり、現在10代から30代のさまざまなライダーが所属し、活動しています。スノーボードのチューンナップはプロスノーボーダー専用ではないため、高い技術を持ったチューンナッパーが専属でチューニングしてくれるというのは、プロスノーボーダーにとって大切なことであるため、戸塚優斗選手にとって、心強いサポートであると思います。
2人の関係について、2018年のスポニチの取材に対し、「HAVEN STORE」の代表・中本氏は「真央の滑りを見ながらかっこいいところを盗んでいたんじゃないか」と語っています。
基本的にはスノーボードの先輩後輩なので、元々はうまいお兄さんという感じ。真央の滑りを見ながら、優斗もここがカッコいいとか盗んでいたんじゃないかな」
引用元:スポニチ
柳原真央選手は戸塚優斗選手より7歳年上ということもあり、戸塚優斗選手にとって、兄のような存在で、信頼し慕っていたそうです。

幼少期から一緒に練習をし、同じ大会に出場することもあった2人。一緒にオリンピックに出場することを夢見ていたそうです。しかし、2011年12月、大会に向かう途中に交通事故に遭い、亡くなられてしまいました。大会の会場で柳原真央選手の訃報を知った戸塚優斗選手は呆然と立ち尽くしてしまったそうです。
戸塚優斗選手は2018年平昌オリンピック前には、自身のサポートショップである「HAVEN STORE」と訪れ「もし真央くんが生きていたら一緒に五輪に出られたかもしれないね」とぽつりとつぶやいたそうです。「兄」と慕う人の死は戸塚優斗選手にとってとても辛い出来事だったと思います。
戸塚優斗選手は柳原真央選手について、「滑り、技、生活面、礼儀とかを習いました。あいさつが小さいってずっと怒られていた。感謝もあるし、そういう気持ちを忘れずにやっていきたい」と語っています。
まとめ
日本男子スノーボード界の次世代エースである戸塚優斗選手。両親の影響で幼少期からスノーボードを始め、わずか11歳でプロ資格を取得しました。
「第二の母」である三井真紀さん、「兄」として慕っていた柳原真央さんとの出会いでスノーボーダーとしてだけでなく、人として成長することができた戸塚優斗選手。
2022年北京オリンピックでは戸塚優斗選手のメダル獲得に期待したいですね。