日本のメッシとまで言われている久保建英選手の父親の職業、めちゃくちゃ気になりませんか?
やっぱりサッカー関係のお仕事をされているのでしょうか。はたまた、サッカーとは程遠いお仕事をされているのでしょうか・・・?
今回は、久保建英選手の父親の職業と共に、凄すぎる子育てのエピソードもご紹介していきたいと思います!
久保建英の父親の職業は?
まずは、久保建英選手の父親のプロフィールをさらっとご紹介します。
名前 久保健史(くぼ たけふみ)
生年月日 1971年?月?日
年齢 49歳(2019年現在)
出身 和歌山県
出身大学 筑波大学体育専門学校
職業 ミサワホーム
久保建英選手のお父さんの名前は、久保健史さんということで二人とも「健」という字が使われていて、親子でかなりお名前が似ています!
久保健史さんの通われていた中学・高校は分からないのですが大学は筑波大学体育専門学校を卒業されているということが分かりました。
大学に在学中は、サッカー部に入部していて、少年サッカーチームの指導をしていたこともあるそうです。久保健史さん自身もサッカーが好きなんですね!
そして、筑波大学体育専門学校を卒業後の1994年にミサワホームに入社します。

サッカー関連のお仕事をされているのかと思いきや、普通のサラリーマンをされていましたね!
ミサワホームの平成30年9月30日付の人事異動情報によると、久保健史さんの役職は「総務人事部長 兼 BR働き方改革推進室 担当室長」と記載されていたので、久保健史さんはミサワホームで働いている人の中でかなり上の立場なのかもしれません。
ミサワホームの部長クラスになると月収が74万円程度。ボーナスは、307万円程度と言われています。めちゃくちゃすごいですよね・・・さすが誰もが一度は聞いたことがあるミサワホームです。
そのため、久保健史さんの年収は1000万円以上だと思われます。少なくともそれくらいは貰っているでしょう!
ということで、久保建英選手の父親である久保健史さんはミサワホームに勤務されているということが分かりました。
次にどのような性格をされているのか気になりませんか?
久保建英選手が若くして素晴らしいサッカー選手になれたのは、父親が厳しかったからかもしれません。そう考えると久保健史さんの性格は厳しい怖い感じ・・・?
久保建英選手の父親の性格を検証していきましょう!
久保建英の父親の性格は?
久保建英選手の父親である久保健史さんの性格、私個人の意見としては、先ほども言いました通り子供には厳しく!怖い感じの性格なのかな?と思っています。
だからこそ、久保建英選手は若くしてサッカー界で素晴らしい選手になり、久保建英選手の弟さんもまだ小さいのにサッカー界では有名なほどサッカーが上手くなれているのではないかな?と思いました。
が、久保健史さんの性格はかなり子供思いで、素敵な性格をされているんだろうなと思うエピソードを見つけることができました。
そのエピソードというのが・・・
久保健史さんはサラリーマンという職業柄、仕事から帰ってきたら子供が寝ているという生活のためなかなか子供と触れ合うことができません。
そのため、毎朝出勤前に必ず子供とボール遊びをしていたそうなんです。年間でいうとほぼ1年間350日くらいはボール遊びを必ずしていたのだとか。
これって、普通に考えてかなり凄いことだと思いませんか?
どんなに夜遅くに帰ってきても、朝早く起きて出勤前に子供と遊ぶと言うのは体力的な問題もあると思うし・・・それを350日間も続けていけるのは、子供思いな素敵な性格をお持ちだからだと思うんです。

母親からしたら、朝少しの時間でも子供と遊んでいてくれたら家事もすんなり終わらせることができるしとても助かりますよね。
そのようなことを含めて考えると、子供にも妻にも優しく、そして頼りになる性格をされているんだと思います。
そのような優しい父親の背中を見てきた久保建英選手はかなり負けずキライな性格なのだとか。
久保建英選手自身が負けずキライな性格をされているからこそ、今を生きるサッカー選手 久保健史がいるのかもしれませんね。
久保建英の父親の凄すぎる子育てエピソードも!
続いて、久保建英選手の父親の凄すぎる子育てエピソードをご紹介します!
まず久保健史さんは、2012年にこれまでの経験をまとめた著書本『おれ バルサに入る!』を出版しています。
この本には子育て方法が書かれていて、久保建英選手の父親も母親もとても教育熱心であることが分かるんです。
その子育て方法と言うのがこの5つ。
- 徹底的に外遊びをさせる
- 五感を刺激する
- 楽しいと思えることを増やす
- 弟のように育てる
- 楽しさを優先する
徹底的に外遊びをさせるということは、基本的に家の中ではなく外で過ごしていました。お昼ご飯などは母親が作って、公園などで食べることもあったとか。
外で沢山遊べば五感が刺激されると思いますし、家と言う小さな囲いの中ではなく外と言う果てしなく大きい世界にいたのですから、楽しい!と思えることもどんどん増えていったことでしょう。
そして母親から「弟のように育てたい」との意見があり、同学年よりも年上の子ばかりが集まる場所に積極的に出向いていたようです。
確かにこの5つの子育て方法って、とても素敵だと私は思います。実際に1人の子を育てる親として、外で沢山遊ばせようと改めて思いますね。
そんな中、久保健史さんはこれ以外にもかなりこだわった教育環境と熱意のある子育てを実践し続けていたのです。
それがこちら。
- テレビを見せない
- ソファーを置かない
- おもちゃを買わない
かなり驚きじゃないですか?!ソファーは置かないにしても、テレビを見せない・おもちゃを買わないというのはびっくりです。
なんと久保建英選手の家の自宅のリビングには、ソファーはお置いていない。そしてテレビは見せず、その上おもちゃもほぼ買わないという事を徹底していたそうなんです。
つまり、家の居心地を悪くしていたんですね。
少し普通の家庭とは違う生活環境で育ってきたからこそ、今の久保建英選手がいるのかもしれません。
そして他には先ほども紹介しました通り、久保健史さんは毎朝出勤前に必ず子供とボール遊びをしていました。
これに関しては、久保健史さんは息子である久保建英選手が産まれたら、親として何をしてあげられるだろうかとよく考えていたそうなんです。
その時に思いついたのがサッカー。学生時代にサッカー部に所属していた経歴があったからサッカーが思いついたということ。
「あっ、サッカーだったらボール蹴りながら毎日子どもたちとコミュニケーション取れる。」
そう思ったため、朝早く起きて子供とサッカーをしてから出勤する日々を送っていたのです。
しかもサッカーをする時には、体幹が鍛えらえれ、足の感覚を強く鋭くするためにも、裸足でするように心がけていたというのです!サッカーに限らず外遊びするときは裸足が多かったのでしょうね。
また、子どもが様々なことで上達したり、何かちょっとしたことでもできるようになったら、すっごく褒めてあげるようにもしていたそうです。
そうすることで、自然と子供にも自信がつき、さらなる成長が促せる。このような考えがあったそうです。確かに、少しの事でも褒めてあげるということは、子供の自信につながりますよね。
しっかりと子供のことを考え仕事をしながらも、子育てをしていく久保健史さんは父親の鏡だと私は思います。

本当に素敵な父親ですね!
久保建英の父親の職業は?凄すぎる子育てエピソードも!まとめ
久保建英選手の父親は久保健史さんで、ミサワホームで働いていらっしゃるということが分かりましたね。
サッカー関係のお仕事かな?と思っていたのですが、調べたところミサワホームで働いていらっしゃるということで全く違ったお仕事だったのでびっくり!
また、久保健史さんの教育方針は本当に素晴らしかったですよね。父親あってこその久保建英選手だなと思いました!