力強さを感じるアタックやディフェンスが持ち味の山沢拓也(やまさわたくや)選手は、埼玉パナソニックワイルドナイツ所属のやり手のラグビー選手です。
筑波大4年生の時に当時のトップリーグでデビューし、2022年は日本代表で激しい定位置争いを繰り広げていましたね。
そんな山沢拓也選手は今触れたようにラグビーの強豪・筑波大学出身であることが判明!
筑波大学が強いのは多くの部員が体育専門学群の学生だからかもね
それはともかく実は山沢拓也選手、中学校時代はサッカー選手としても活躍し、高校進学の際は複数のサッカー強豪校からスカウトされたそうですよ。
今回の記事では以上のことに加えて、山沢拓也選手は小学校から高校までどこに通っていたのか?や各時代のエピソードを紹介していきます。
それでは早速考察のほうにいってみましょう!
山沢拓也は筑波大学出身!
山沢拓也選手は体育専門学群があることで知られる国立大の筑波大学の出身者です。
筑波大学には体育専門学群以外にも、芸術専門学群や医療学群に社会・国際学群などいろいろな学群があり、更にそれぞれ複数の学類に分類されています。
『学群・学類』制度は『学部・学科』よりも、より広範囲に学べるそうですよ〜。
また自由かつ学生の自主性を重んじる校風が特徴で、様々な活動に積極的な人や安定志向の人、日々を楽しく過ごしたい人など色々な人がいます。
そんな筑波大学の偏差値は55.0〜65.0、人間学群の心理学類や医学群の医学類に、社会国際学群の社会学類辺りが偏差値上位に該当するようです。
山沢拓也選手が在席していた体育専門学群は偏差値61.0〜63.0なので、合格難易度は高めだと言えるでしょう。
次に筑波大学の出身有名人について触れていきます。
ラグビーの阿部博典(あべひろのり)選手やサッカーの安藤梢(あんどうこずえ)選手など、スポーツ界で活躍している人物が多い印象です。
スポーツ選手以外にもアナウンサーや政治家、小説家に精神科医など様々な業界で活躍している有名人が卒業生に名を連ねています!
山沢拓也選手も同大学出身有名人の一人になるわけですが、自身のフェイスブックに「筑波大学体育専門学群2017年卒業」と書かれていました。
在学していたのは2013年から2017年の間で、山沢拓也選手はラグビーのスポーツ推薦で筑波大学体育専門学群に進学しています。
体育会のラグビー部に入部しその活動に集中していたようなので、大学の講義との二刀流でさぞかし大変だったことでしょう。
筑波大学在学中に何を学んだかは不明ですが、体育専門学群とのことなのでそれに関連したカリキュラムを選択していたものと思われます。
スポーツ・体育・体力学・健康・テーピング・マッサージなど、ラグビーをプレーする上で役立つことを学んでいたのではないでしょうか?
この部分については他に有力な情報が見つかればその都度お伝えしていきますね!
山沢拓也は複数のサッカー強豪校からスカウトされてた?
山沢拓也選手は元からラグビー一筋だと思っていましたが、熊谷東中時代はラグビー選手の他にサッカー選手としても活躍していたことが判明!
小学6年生の時にクマガヤSCのセレクションを受けて合格、その後すぐにレギュラーに抜擢されたのみならず関東大会にも出場しました。
全てロングストレートで勝ち上がるほどの強さを発揮したそうで、まさに天才サッカー少年だったと言っていいでしょう。
3年間指導した富岡信吾さん曰く、「発想が豊かでイマジネーションやひらめきといった感性が違うと感じた」そうなんです。
富岡氏「山沢は小学生の時から注目されていましたが、小学6年生の時にクマガヤSCのセレクションを受けに来て、もちろん合格。体が強いというよりは発想が豊かで、イマジネーションやひらめきといった感性が違うと感じました。面白い子だなと。クマガヤSCでもすぐにレギュラーを獲得しましたね。
出典元:アズリーナ
このように将来有望だった山沢拓也選手は、クマガヤSCで活躍中のサッカー選手として複数の強豪校からスカウトされたことがありました。
ということは実際、強豪校のコーチや監督が山沢拓也選手の練習を見学したりスカウトの交渉に来たことがあったのでしょう。
思えば埼玉・熊谷東中ラグビー部時代は、校外のクマガヤSCでサッカー選手として強豪校からスカウトされていたもの。
出典元:ラグビーリパブリック
山沢拓也選手をスカウトした強豪校がどこなのか?は不明ですが、クマガヤSCの活動拠点は埼玉県熊谷市です。
となると埼玉県内のサッカー強豪校として有名な私立昌平高等学校の可能性もあるのではないでしょうか?
私立昌平高等学校は全国大会に出場すれば優勝候補の一角を担う強さを誇り、実際に2022年夏のインターハイではベスト4に輝きました。
他にも全国高校サッカー選手権に2回出場したり7年連続で高卒Jリーガーを輩出するなど、高校サッカー界を台頭するほどの動きを見せています。
もう一つ挙げるとすれば全国高校サッカー選手権に14回、インターハイには10回も出場するなどの実績を残したさいたま市立浦和高校。
攻めて勝つという攻撃的なスタイルが実を結び全国優勝も果たしているのだから、天才サッカー少年をスカウトするにはピッタリの高校です。
両校ともサッカーの強さでは埼玉県内で一二を争う高校なので、山沢拓也選手をスカウトした強豪校の可能性は高いと思います。
あくまでも予想の範疇ですが、少しでも参考になったら嬉しいです!
山沢拓也の学歴をすべて紹介!
ここからはラグビーの山沢拓也選手の学歴について紹介していきますが、彼の場合は小学校から大学までの学歴が全て判明していました。
既に出身中学校と大学には言及しましたが、それも含めて以下でリスト化してみたのでご覧ください。
- 出身小学校:熊谷市立久下(くげ)小学校
- 出身中学校:熊谷市立熊谷東中学校
- 出身高校 :県立深谷高等学校
- 出身大学 :筑波大学 体育専門学群
山沢拓也選手の学歴をまとめてみると高校までは埼玉県内の学校に通い、その後茨城県つくば市にある国立の筑波大学に進学したことが分かります。
とにもかくにも各学校の偏差値や校風、それぞれの学生時代のエピソードなどまだまだ気になるところが盛り沢山!
下の項目では山沢拓也選手の学歴について、まだ触れていない部分を中心に解説していきますね。
山沢拓也の小学校・中学校時代
山沢拓也選手が通っていた小学校は、地元熊谷市内に位置する熊谷市立久下(くげ)小学校です。
閑静な住宅街に囲まれた静かな雰囲気の小学校で、クラブ活動が盛んで外国語の授業に力を入れているように感じました。
小学校時代の山沢拓也選手はサッカーに夢中で、多くの時間をサッカーの練習に使っていたようですよ!
その結果、小学6年生の時にクマガヤSCのセレクションに合格しています。
当時クマガヤSCで山沢拓也選手を指導していた富岡信吾(とみおかしんご)さんは、「山沢は小学校時代から注目されていた」と話していました。
ということは山沢拓也選手は、小学校時代から天才サッカー少年だったことになりますね!
ちなみにサッカー以外のエピソードも探してみましたが、今のところ公開されていないようです。
山沢拓也選手について何か耳寄りな情報があれば、すぐにお伝えしたいと思います。
続いて出身中学校についてですが、同じく地元にある熊谷市立熊谷東中学校を卒業していることが判明しました!
学校がある場所が田舎なので、熊谷市立久下小学校同様のんびりとした雰囲気の中学校です。
山沢拓也選手がラグビーを始めたのは中学校からですが、優先度はサッカーのほうが上でした。
ラグビーの練習や試合はサッカーの予定次第という形で、サッカーの実力は関東大会で勝ち上がるほどに成長していきます。
ただ、山沢拓也選手は最終的にラグビーの強豪・深谷高等学校に進学する道を選びました。
というのも深谷高等学校のラグビー部監督が、「どうしてもラグビーをやってほしい」と山沢拓也選手に頼み込んだからです。
同校のラグビー部監督は彼の試合を見に来ていたことがあり、何かを感じ取り兄のようにラグビーで活躍してほしいと思うようになります。
それが山沢拓也選手がラグビー界に進出するきっかけになったわけですね!
小中学校時代はサッカーで活躍しその後ラグビーで躍進する・・・これは運命の歯車が回り出したと言っても過言ではないでしょう。
山沢拓也の高校時代
前述したように山沢拓也選手は、ラグビーの強豪として知られる埼玉県立深谷高等学校出身です。
深谷高等学校の偏差値は44、偏差値レベルは普通より少し下になるでしょう。
また、生徒が主体となって様々な行事を企画・運営する学校で、生徒一人一人の自主性を重視する校風が特徴です。
高校時代は1年生から高校日本代表に抜擢され、既に頭角を現していました。
高校3年生になるとエディー・ジョーンズ元日本代表HCに「ビジョンを持っている」と評価されたそうですよ〜。
他にも代表合宿への参加、ジュニア・ジャパンとしてトンガ代表戦に出場するなど活躍!
結果的にラグビーの道を選択したことは大正解となり、山沢拓也選手の実績を一気に形作っていきました。
高校から本格的にラグビーを始め、埼玉の強豪・深谷高校では1年生から大活躍。高校3年次にはエディー・ジョーンズ元日本代表HC(ヘッドコーチ)に「ビジョンを持っている」と評価され、代表合宿にも招聘。ジュニア・ジャパンとしてトンガ代表との試合にも出場した。
出典元:JSPORTS
山沢拓也選手が全国的に有名になったきっかけは、高校1年の時に出場した全国高校ラグビー大会の2回戦です。
なんとたった1人で4トライを決めたので、会場のラグビーファンを大いに沸かせました!
ちなみに山沢家長男・山沢一人(やまさわかずひと)さん、次男・山沢京平(やまさわきょうへい)選手も同じ深谷高等学校出身です。
山沢一人さんは卒業後に立命館大学でラグビーをして引退、山沢京平選手は明治大学を経て埼玉パナソニックワイルドナイツでラグビー選手として活躍しています。
いずれにせよ山沢拓也選手は、深谷高等学校で兄2人に負けない活躍をしました。
きっと山沢一人さんと山沢京平選手は、弟の活躍を喜んでいたのではないでしょうか?
山沢拓也の大学時代
最後に紹介するのは山沢拓也選手の出身大学についてですが、卒業したのは筑波大学体育専門学群です。
体育専門学群の偏差値は58、偏差値を発表している予備校に違いはあれど、難関の部類に入るでしょう。
ラグビー選手として多忙を極めながらの筑波大学合格、山沢拓也選手は頭が良いに違いありません(確信)。
筑波大学の校風ですが、一人一人が目的に応じて何でも好きなことが学べる自由なところではないか?と思います。
というのも様々な学問分野から構成される『学群・学類』が非常に多いからです。
理工学関係、医学関係、情報関係、芸術関係など何でも揃っていると言っても過言ではないので、熱心に学べばきっと将来に役立つでしょう。
さて筑波大学時代の山沢拓也選手は、入学当初からワールドカップでの活躍を期待されていたそうです。
しかし2014年3月に行われた遠征で左膝の前十字じん帯を負傷してしまいます。
更に不運は続き2015年の大学選手権でも左膝を痛め、リハビリを余儀なくされ試合に出れない状況が長期に渡りました。
人によっては精神崩壊を起こしラグビーから離れても不思議ではなかったものの、山沢拓也選手は前向きな気持ちで遂には復帰!
大学4年生になるとトップリーグに挑戦する為に、埼玉パナソニックワイルドナイツに入団し活動をスタートさせます。
その結果、初の大学トップリーガーに上り詰め山沢拓也の名を広く全国のラグビーファンに知らしめることになりました。
これだけラグビーに身を捧げてきたにも関わらず、きちんと大学を卒業しているのも山沢拓也選手のすごいところです。
きっと大学時代は学生生活をエンジョイする暇もないほど忙しかったのでしょう。
まとめ
山沢拓也選手の学生時代の話題を中心に考察してきましたが、如何でしたでしょうか?
今回お伝えした内容は主に以下の通りです。
- 山沢拓也は筑波大学体育専門学群出身!
- クマガヤSC在籍中に複数の強豪校からスカウトされていた!
- 山沢拓也は熊谷市立久下小学校と熊谷市立熊谷東中学校出身
- 中学生時代にサッカーで関東大会出場経験アリ
- 山沢拓也は埼玉県立深谷高等学校出身
- 全国高校ラグビー大会の2回戦にて1人で4トライを達成!
- 大学時代にケガを負うも復帰しトップリーグに挑戦した
こうしてまとめてみると山沢拓也選手は苦労しながらも着実に実績を形作ってきたことが分かります。
大学時代に負傷して試合に出れなくなっていた時に諦めていたら、今の輝かしい活躍はなかったでしょう。
今回の考察記事で少しでも山沢拓也という人物の魅力をお伝え出来たなら嬉しいです!