サッカー日本代表のミッドフィールダーでドイツのフォルトゥナ・デュッセルドルフ所属の田中碧選手。
田中碧選手は新城高校出身ということですが、いったいどんな学生生活を送っていたのか気になりますよね。甘いマスクで女性人気も高いので、きっと学生時代はモテたのではないでしょうか。
高学歴イケメンの田中碧選手の画像と共に気になる学生時代をご紹介します。
田中碧は新城高校出身!
田中碧選手は、神奈川県立新城高校出身です。
新城高校の公式ホームページにも卒業生として田中碧選手の活躍が紹介されているので間違いありません。
50期生(2015年3月卒業)三好康児(現在ベルギーのアントワープ所属)さんと52期生(2017年3月卒業)田中碧(現在川崎フロンターレ所属)さんです。Uー24日本代表メンバー18名という限られたメンバーに選ばれました。
昭和38年に開校した男女共学の公立高校
- 偏差値:59
- 学科:全日制普通科
- 住所:神奈川県川崎市中原区下新城1-14-1
新城高校は、偏差値59の進学校で勉強も部活も頑張りたいという学生におすすめの高校になります。生徒の自主性に任せたある程度自由な校風みたいですよ。
しかし、自由だからと言って勉強を疎かにする生徒はおらず、やることはやっているから自由に過ごせるのが新城高校の良いところなんだとか。
田中碧選手は、小学3年生の時から川崎フロンターレの下部組織に所属してサッカーをしていました。
そのため、新城高校に進学してもサッカー部には所属していません。
部活はしていませんでしたが、田中碧選手が東京オリンピックの代表に選ばれた際は、新城高校の卒業生ということで横断幕が掲げられていたそうですよ。
新城高校としても卒業生が日本の代表に選ばれたり世界で活躍するのはとても嬉しいでしょうね。
新城高校には田中碧選手以外にも有名な卒業生がいらっしゃいます。
- 三好康児選手(サッカー選手)
- 植木繁晴さん(元サッカー選手&監督)
- 今村優介さん(サッカー選手:FC大阪所属)
- 山崎洋子さん(小説家:代表作「花園の迷宮」)
新城高校出身の有名人はサッカー選手が多い印象です!
これからも新城高校から世界で活躍する選手がどんどん増えていくかもしれませんね。
田中碧は高学歴イケメンで学生時代はモテた?【画像】
田中碧選手が高学歴イケメンとはどういうことなのか調べてみました。
田中碧選手は、小学生の時から川崎フロンターレの下部組織に所属していたため学生時代はサッカー漬けの毎日を送っていたことでしょう。
しかし、川崎フロンターレはサッカーだけをしていたら許されるほど甘い組織ではなく、勉強にも全力を求められていたそうです。
加えて、川崎の下部組織の特長のひとつとして、文武両道を徹底していることも挙げられる。「サッカーだけをやっていれば良いわけではない」との考えをもとに、“通知表で「1」を2度、取ったら退団”という明確なルールを設けるほどだ。
田中碧選手は、新城高校時代もこの教えをしっかり守り学年でトップ10に入る学力の持ち主だったとか!!
サッカーと学業の両立が当たり前の世界で生きてきたとしても、それを実際やってきていたと思うと本当に凄いの一言ですよね。
高学歴イケメンと言われるのにも納得ができます。
サッカーができて勉強ができてその上イケメンとなれば、学生時代モテないわけがありませんね。
きっとモテモテだったと思いますよ
田中碧の学歴まとめ
田中碧選手がこれまでどんな学歴を歩んできたのか気になりませんか?
小学校・中学校や高校時代をまとめたのでご紹介します。
田中碧の小学校・中学校時代
田中碧選手は、神奈川県立川崎市鷲沼小学校出身です。小学生に入ってすぐの頃に地元チームのさぎぬまSCに所属。
さざぬまSCは地域の強豪チームということもあり、サッカーの技術がどんどん上達したんだとか。
上手な人に囲まれて育つと自然と自分の実力も上がりますよね。田中碧選手にとってサッカーの原点となるチームの出会いだったのではないでしょうか。
ちなみにさざぬまSCは、三苫薫選手や板倉滉選手も輩出しています。
田中碧選手は、小学3年生の時に川崎フロンターレの下部組織のセレクションを受けて合格。
川崎フロンターレの厳しい指導で練習や試合が嫌になることも多く、何度も両親がコーチに「やめようかと思う」という電話をかけては、引き留められていたそうです。
でも、そこでサッカーをやめていたら今の田中碧選手はいないわけですよね。
努力を続けることは大変ですが、それができる田中碧選手は本当に素晴らしい選手だと思います。
田中碧選手は、小学校を卒業後に川崎市立有馬中学校に進学。
有馬中学に進学後も川崎フロンターレに所属していたのでサッカー部には入部しませんでした。
田中碧選手にとって中学時代は、友達と遊ぶ時間や自由に過ごせる時間が増えたことで、サッカーがトーンダウンしていた時期だったみたいです。
しかし、中学3年生の時に川崎フロンターレのU-18チームに昇格し、先輩たちとのレベルの違いが悔しくて田中碧選手の闘志に火をつけたんだとか。
そこから毎日暇さえあれば練習に打ち込み、受験勉強中も練習のことを考えていたほど!
そんな田中碧選手を有馬中学校の先生は、人のために行動することができるお手本のような生徒だと言っていました。
「田中選手は応援団副団長や駅伝大会の助っ人も引き受け、元気良くまわりを引っ張っていた。ユースの教えか、スポーツ精神、人に向き合う姿勢が素晴らしく、周囲も真似していた」と当時を振り返る。
田中碧選手は、クラスでも明るく中心的存在だったみたいですよ
神奈川県立川崎市鷲沼小学校と川崎市立有馬中学校の両校には有名な卒業生がいらっしゃいます。
- ベッキーさん(タレント)
- 三苫薫さん(サッカー選手)
- 高井雄平さん(元プロ野球選手)
川崎市立鷲沼小学校も川崎市立有馬中学校も同じ神奈川県川崎市の公立の学校なので、地元の人の多くが進学するんでしょうね。
それにしても、田中碧選手と三苫薫選手はどちらも日本代表に選ばれているので地元地域の方からの期待はかなり高いと思われます。
田中碧の高校時代
田中碧選手は、神奈川県立新城高校出身です。
高校に入学した時から川崎フロンターレに所属しており、サッカー部には入っていません。
そのため、スポーツ推薦などではなく、一般入試で新城高校に入学したと言われています。
新城高校は偏差値59の進学校なので、サッカーをしながらの受験勉強は大変だったのではないでしょうか。
そんな田中碧選手の得意な科目は数学で、苦手科目は英語。
きっと田中碧選手のように頭がいい人が言う苦手は、相当できるレベルだと思いますけどね。
田中碧選手は高校1年生の時、同学年で唯一川崎フロンターレのU-18のベンチメンバーに選ばれました。
そして、その数か月後にはレギュラー入り!
誰にも負けたくないとい強い気持ちと努力が実った結果ですね。
田中碧選手は、新城高校を卒業後は大学に進学せずに川崎フロンターレでプロデビューしています。
文武両道を極めていた田中碧選手なので、行こうと思えば大学へ進学もできたはずです。
しかし、小学3年生から川崎フロンターレでサッカーをしていた田中碧選手は、プロになって活躍するという夢を選んだのだと思います。
田中碧のプロフィール
5歳の時に幼稚園のクラブ活動からサッカーを始めました。
スポーツが盛んな幼稚園だったため、サッカーや体操などいろいろなスポーツに親しんでおり、その中でも「サッカーは楽しい」と強く感じたそうです。
そんな田中碧選手は、現在ドイツのフォルトゥナ・デュッセルドルフに所属し、世界で活躍できる選手にまで成長しました。
ドイツに移籍後は、母親が一緒にドイツに渡り身の回りのお世話をしれくれているそうですよ。
家族の支えがあって今の田中碧選手がいるんでしょうね。
今後の田中碧選手がどんな活躍を見せてくれるのか期待できます。
まとめ
田中碧選手は、新城高校出身で学年トップ10に入るほどの秀才でした。
田中碧選手はかっこいい上にサッカーができて勉強ができるので、高学歴イケメンと言われても納得ができます。
画像でもわかるように本当にかっこいいですよね。きっと学生時代もモテていたはずです。そして、これからますます世界中でモテることでしょう。
田中碧選手の今後の活躍が楽しみですね。