お笑い第7世代を代表する人気コンビEXIT。
りんたろー。さんと兼近大樹さんの2人で活動しているとても面白くてかっこいい男性ですよね!
今回はそんなEXIT、兼近大樹さんの生い立ちを紹介していきます。
兼近大樹さんは過去の生活を笑い話としてテレビなどで話しているのですが、真面目に聞いてみると笑えないほど壮絶なんです。
兼近大樹さんの壮絶な生い立ちを詳しく解説していくので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
兼近大樹の生い立ちが超壮絶!
兼近大樹さんの生い立ちをわかりやすくリストにまとめたので、まずはこちらをご覧ください。
- 父の会社が倒産(小学生時代)
- 両親が離婚(中学生時代)
- 定時高校へ進学するも自主退学
- 2度逮捕される(2011年~2012年)
- 上京しNSC東京校19期生となりぷりずん。を結成(2013年頃)
- 「EXIT」を結成(2017年)
兼近大樹さんの生い立ちを見てみると、東京へ上京するまでの間はとても大変で壮絶な日々を送っていたことがわかります。
兼近大樹さんの人生が変わったきっかけは、2度目の逮捕だったのでしょう。
ここから、兼近大樹さんの生い立ちについてさらに詳しく解説していきたいと思います。
兼近大樹の生い立ち:父の会社が倒産
兼近大樹さんは、1991年5月11日に北海道札幌市北区で生まれました。
4人兄弟の3番目である兼近大樹さんは、札幌市新川中央小学校を2004年3月に卒業。
兼近大樹さんの父である勇治さんは当時、建設業の社長として働いていましたが兼近大樹さんが小学生の頃に倒産しています。
倒産したから貧乏な生活になったのかと思いましたが、実際は兼近大樹さんの父の会社が倒産する前から貧乏な生活を送っていたようです。
父親が社長なのに?と思いましたが、兼近大樹さんの父は趣味であるクワガタに毎月30万円使うような金銭感覚だったようで…。
兼近大樹さん含め、4人の子供と両親が生活していかなくてはいけないのに父親の金銭感覚がバグっているとどうにもなりませんよね(笑)
兼近大樹さんの父親の会社が倒産する前から、ティッシュにマヨネーズを付けて食べるなどの貧乏生活を送っていたそうですよ。
兼近大樹の生い立ち:中学生の頃に両親が離婚
兼近大樹さんは、2004年4月に札幌市新川中学校へと進学します。
中学時代の兼近大樹さんは、とにかく野球に夢中!甲子園を狙える強豪校からスカウトされるほどの実力を持っていました。
順風満帆に見える兼近大樹さんの中学時代ですが、このタイミングで両親が離婚。
兼近大樹さんと2歳下の妹は母親である照美さんに引き取られ、生活することになります。
兼近大樹さんの母親は、兼近大樹さんと妹を育てるために昼間は工場勤務、夜はスナックで働くようになりました。
兼近大樹さんの当時の自宅は、「屯田兵の家」のような外観だったそうで離婚後も貧乏な生活をしていたことがわかります。
そのため、兼近大樹さんは野球の実力があったにも関わらず今後継続していくことを断念。
母親と妹、そして男である兼近大樹さんだけの生活だったことから、兼近大樹さんは自分が「一家の大黒柱にならなくちゃいけない」という責任感を感じたのかもしれませんね。
そんな兼近大樹さんは当時から新聞配達のバイトをしていて、さらに生活のため定時制高校へ進学することを決意します。
兼近大樹の生い立ち:定時高校へ進学するも自主退学
兼近大樹さんは、北海道札幌北高等学校定時制へと進学します。
兼近大樹さんは高校へ進学後、妹の学費を稼ぐために掛け持ちでバイトしていました。
兼近大樹さんが15歳の頃は、朝2時からパン屋で働いて午後から工場、そして17時以降に学校へ通うというスケジュールだったそうです。
睡眠時間3時間ほどで毎月10万円ほどの収入を家にいれていた兼近大樹さん。
高校へ通うことより仕事優先になってしまったことから、兼近大樹さんは高校を自主退学しています。
掛け持ちしていたバイト、高校退学後に経験したバイト先は以下の通り。
- ファミレス
- コンビニ
- 焼肉屋
- たい焼き屋、たこ焼き屋
- テレアポ
- カラオケ
- パン屋
- 工場系
- バーテンダー
- ベビーシッター
ファミレス、コンビニ、焼肉屋、たい焼き屋、たこ焼き屋……飲食店はほぼやったと思います。あとは、テレアポ、カラオケ、パン工場、鮭の缶詰工場、車のネジを作る工場。バーテンダーやベビーシッターもやったし、やってないバイトが思いつかないっすね(笑)
引用元:タウンワーク
さすがにこの量のバイトはまねできない気がしますね(笑)
当時の兼近大樹さんががむしゃらに家計を支えようとしていたことが伝わってきます。
兼近大樹の生い立ち:2度逮捕される(2011年~2012年)
高校卒業後、兼近大樹さんは友人に誘われたことから札幌・すすきのの大手〇俗チェーンの従業員として働き始めます。
なんでも兼近大樹さんの女友達が18歳になったことをきっかけに〇俗店で働くこととなり、自分も一緒に働こうかなという軽い気持ちで始めた仕事でした。
その仕事の延長で、兼近大樹さんは19歳の女子高生と出会い系で出会った男性を会わせて、いかがわしい行為をさせ、現金を受け取らせていました。
兼近大樹さんにとってはお金を稼ぐ手段として自然な流れだった行動だったようですが、これは売〇斡旋。
20日間拘留され、5万円の罰金刑になったと話しています。
そんな仕事の中で、何気なくやっていたことが女性への犯罪斡旋として法律に触れており、20日間の拘留の上、5万円の罰金刑となった。
引用元:モデルプレス
法にふれるのはわかっていましたが、複雑な環境で育ってきていた兼近大樹さんは「何がいけないんだ」と思っていたそうです。
その後、不起訴処分になっていますが2度目の逮捕を経験。
拘留所で読んだピース又吉さんの「第2図書係補佐」を読み芸人を目指し始めます。
ここが兼近大樹さんの人生の転機ですね!
そして兼近大樹さんは、妹が高校を卒業したタイミングで東京で上京することとなりました。
兼近大樹の生い立ち:上京しNSC東京校19期生となりぷりずん。を結成(2013年頃)
兼近大樹さんは、妹が高校を卒業したタイミングで「売れるまで帰らない」と母・照美さんに告げて上京します。
上京したところでお金があるわけではないため、兼近大樹さんは野宿しながら渋谷の宮下公園の配給で命をつないでいたんだとか。
兼近大樹さんが上京して4か月後、NSC東京校19期生として入校。
2014年頃からは既に芸人として活動していた逢見亮太さんに誘われて、兼近大樹さんは「ぷりずん。」を結成しました!
ぷりずん。では、兼近大樹さんがボケで逢見亮太さんがツッコミ。
とても面白いコンビでしたが、逢見亮太さんが2017年5月以降活動休止状態になってしまったことから、兼近大樹さんはピン芸人として活動せざるを得ない状況になります。
逢見亮太さんの活動休止理由は、不祥事による謹慎処分と言われていますが実際は不明です。
兼近大樹の生い立ち:「EXIT」を結成(2017年)
兼近大樹さんは、ぷりずん。活動休止中にりんたろー。さんを誘い、仮コンビSCANDALを結成。
兼近大樹さんとりんたろー。さんは、M-1グランプリ2017に出場し3回戦進出を果たしています。
その後、2017年11月にぷりずん。は正式に解散となり、2017年12月22日りんたろー。さんと「EXIT」を結成!
2019年には兼近大樹さんがチャラ男キャラで大ブレイクしましたよね。
2022年の24時間テレビでは、兼近大樹さんがチャリティーマラソンランナーにもなり、かなり話題となりました。
そして兼近大樹さんは、7年ぶりに北海道にいる母・照美さんのもとへ向かいます。
言葉通り、売れるまで帰らなかった兼近大樹さん…。本当に素敵ですよね。
北海道で凱旋ライブを行った兼近大樹さんですが、なんとそのライブに母・照美さんが登場。
母・照美さんはライブ内で「野球に対する情熱がさめたといううそをつかせてごめんなさい」という内容の手紙をよみ、会場では思わず涙するファンも多くいたそうです。
「”野球に対する情熱が冷めてきた”と言って働くことを選択しましたが、本当は家計を助けるためのウソだとすぐに分かりました。そんな気を使わせてしまってごめんなさい」
引用元:スポニチ
もちろん兼近大樹さんも、母・照美さんからの手紙で涙。
兼近大樹さんがブレイクしたことで、母・照美さんもホッと一安心したことでしょう。
兼近大樹の逮捕歴まとめ
兼近大樹さんの生い立ちを見てみると、2度逮捕されていたことがわかっています。
- 売〇斡旋
- 窃盗事件(不起訴)
売〇斡旋については、生い立ち内でも軽く解説しましたが改めてここでも紹介していきます。
兼近大樹さんは、当時19歳の女子高生に出会い系で出会った男性をいかがわしい行為をさせ、15,000円受け取らせていました。
どうやらグループで売〇斡旋を行っていたようで、兼近大樹さんは何か事件が起こったときに助けに行く役割だったそうです。
男性がお金を支払わない、途中で逃げる、暴力をふるうなどのトラブルの際、兼近大樹さんが助けるために駆けつけるという感じですね。
用心棒を行う代わりに兼近大樹さんは女の子から、お金を少しもらっていました。
兼近大樹さん的には、「ルールを守らない男性が悪い」という考えでヒーローのような気分だったのかもしれませんね。
その女子高生は、お小遣いが欲しかったため約100人ほどの男性と関係を持ったと話しています。
兼近大樹さんは、20日間の拘留の上5万円の罰金刑となりました。
逮捕されたことで、兼近大樹さんは売〇斡旋がダメなことであり法律の正しさを知ることになります。
2012年、兼近大樹さんが売〇斡旋で捕まった約1年後。
兼近大樹さんはすすきのの墓場と呼ばれる場所のサパークラブ「B」の店長として働いていました。
そのころ、ホストの自宅から1000万円がなくなるという事件が発生し、その事件にかかわっていた4人の男性が逮捕されます。
兼近大樹さんはその犯行メンバーだったのではないか、と疑われたことで取り調べとして10日間拘留された末、不起訴処分で釈放。
実はこの犯行メンバー、2023年に話題になったルフィと名乗る渡辺容疑者だったようでルフィとは知り合いだったと話しています。
しかし、実際に犯罪行為を行っていたのかについては否定。
今回の広域強盗事件について、自身は「全く関係ない」と断言し「でも10何年前に(渡辺容疑者と)知り合いだった時に止めれたよねということですよね。その時は僕も自分のことしか考えてなかったですし、そんなことするなよと言える立場ではなかったので。昔の俺はそういう人たちにやめろとは言えなかったですね」と振り返った。
引用元:東洋経済
過去に兼近大樹さんとルフィに接点があったことは認めていますが、現在もつながっているという事実はないようです。
兼近大樹さんは上京したことをきっかけに、昔の悪い友人とは縁を切っていた可能性が高いですね。
兼近大樹は極貧すぎて食事がティッシュだった?
ここからは、兼近大樹さんの極貧生活エピソードを解説していきます。
兼近大樹さんはこれまで、いろいろなメディアなどで極貧生活エピソードを話しているんです。
兼近大樹さんの極貧生活エピソードはこちら。
- 父・趣味でクワガタに月30万円使う
- 屯田兵の家のような外見の家に住んでいて、あだ名は「屯田兵の生き残り」だった
- 妹にピンポンダッシュさせて転ばせ捕まらせ、謝りに行った際「お腹がすいた」アピールしてその家でご飯をもらっていた
- 大量のモヤシを茹でて、色んな調味料(ケチャップ・わさび・からし・ポン酢)につけて食べた
- 誕生日ケーキが変えなかったため、星空をローソクに見立てて息を吹きかけていた
- 家に食べ物がなさ過ぎて、姉の足の指がネズミにかじられた
- ティッシュを1枚に分けてするめのように割き、マヨネーズを付けて食べた
- 「サンタが来てほしい」と母に伝えると、枕元に「サンタです。来ました」という手紙だけが届いた
- 同級生の家に遊びに行ったときはご飯が出てくるまで帰らない
- 妹と塩をこぶしに載せて空高くつき上げた際に舞い上がる塩を食べる遊びをしていた
- 父の命令でクワガタを捕まえ、1匹50円で友人に売っていた
かなり壮絶な生活を送っていた兼近大樹さん。
本当に平成の話なのか、正直疑ってしまいますよね。
そんな生活をしていた兼近大樹さんですが、「ハッピーチャラ貧乏だった」と笑顔で話しています。
「楽しく貧乏をかじらせてもらっていた。ハッピーチャラ貧乏だった」
引用元:スポニチ
貧乏もまた経験の一つとして、今振り返ることができている兼近大樹さん。母との強い絆が伝わってきますね。
兼近大樹のプロフィール
兼近大樹さんのプロフィールはこちらです。
名前:兼近大樹(かねちか だいき)
あだ名:かねちー
生年月日: 1991年5月11日
年齢:31歳(2023年2月時点)
出身地:北海道札幌市北区
身長:172cm
血液型:O型
最近はテレビだけでなく、youtubeでも活動している兼近大樹さん。
トークがとても面白く、人を引き寄せるオーラを持っている人物ですよね。
一時期は悪い道へと進んでしまった兼近大樹さんでしたが、「芸人になる」という夢を持ったことで人生が一転しています。
兼近大樹さんにとって、「芸人になりたい」と思った瞬間やりんたろー。さんとの出会いが人生が変わったきっかけなんだと感じました。
過去の事実もしっかりと受け止め、現在を生きている兼近大樹さん。
これからもどんどん活躍してほしいですね。
まとめ
兼近大樹さんの生い立ちを紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
想像していたより極貧生活をしていたようで、かなり驚きました。
以前ネットで「生活保護を受けてほしいと母にたのんだが、断られた」というエピソードを聞いたことがあります。
子供が母親に頼むほど過酷な生活をしていたことが伝わってきますよね。
現在は、今までの壮絶な生活を笑い話にしている兼近大樹さん。これからも応援していきたいと思います!